いつからだったでしょう? 貴方の事をもっと知りたいと思う様になったのは? でも、貴方はそれを許してはくれない。 それを知ったこの気持ちは―――――― 『ジレンマ』 ちゃぷん。 一滴、天井から浴槽へ雫が落ちた。 湯煙が辺りを包んで、肌に纏わりつく。 「良い湯加減ですねー」 僕は湯煙で霞む空間に声を掛けた。 「そうですね」 と、短い返事。 今、僕の隣には呉羽さんがいます。 何故か、僕を避ける様に間を置いて湯船に浸かっている。 ………もしかして、嫌われちゃいましたかね? こんな状況になったのは、五分程前の事。 仕事も終って、早めに寝てしまおうと湯船に浸かっていたら、 「あッ…」 呉羽さんが扉を開けた。 僕がいると気がつかなかったのか、酷く驚いた顔で僕を見ている。 「す…すいません…」 そう言って、引き返そうとする。 しかし、僕はその腕を掴んでそれを止めた。 「また服を着直すのもなんですから、一緒に入りませんか?」 ―――そして、今の状況と言う訳です。 「背中、流しましょうか?」 「…大丈夫です」 「そうですか…」 ちゃぷん。 また一滴、天井から浴槽へ雫が落ちる。 先程から、短い会話ばかりが続いている。 チラッと、顔を伺えば瞼を伏せて顎の辺りまでお湯に浸っている。 いつもは眼帯で見えない右目は、今は銀灰色の髪に隠れているだけ。 肌を覆い隠している包帯もなく、白い肌が湯船の中で揺らいでいる。 (ここからじゃ、良く見えないな…) 未だに知らない、眼帯と包帯に隠された謎。 今なら絶好のチャンスだと言うのに、銀灰色の髪と湯煙に邪魔されている。 下手に近付けば、また距離を置かれる。 (『ジレンマ』と言うやつですね) ふぅ、と一息付いてまた彼の顔を伺う。 白い頬が、ほんのり朱に染まっていた。 (……あれ?呉羽さん) ふと、頭に一つの考えが浮ぶ。 それを確認する為、声を掛けた。 「あの、呉羽さん」 「もしかして―」と、続けようとした時、 「ダーリ~ン!貴緒~!タオル持って来たわよ~♪」 僕の声は、脱衣所から響くくっくでゅーさんの声に書き消されてしまった。 「ありがとうございます」 扉越しにお礼を言うと、「棚の上に置いて置くからねー」と続けて返って来た。 僕は、くっくでゅーさんがいなくなるのを確認して、湯船から出る。 「お先に失礼します」 「さっき、何か言おうとしませんでしたか?」 「……いいえ、もう良いんです」 「そうですか」 「呉羽さんも、そろそろ出た方が良いですよ」 「……え?」 僕は、そう言って浴室の扉を閉めた。 朱に染まった頬。 あれは、明らかに上せていた証拠。 彼は、軽く身体を流すだけで、後はずっと湯船に浸かっていた。 何故、そうしていたのか? 答えは解っていた。 “僕に、身体を見られたくなかったから” それなのに、半ば強引に一緒に入ろう等と言ってしまった僕。 (僕は…何をしているんでしょうね?) 彼が知りたい。 そんな身勝手な好奇心でその身体に近付いた。 呉羽さんの気持ちなど考えずに。 本当は怖いんですよ。 目を離すと、すぐに何処かへ消えてしまうような気がして。 だから側にいたい、もっと知りたい。 それを貴方が拒むと言うなら、せめて、側に居させて下さい。 でも、この気持ちが貴方に届かない以上――――――― ――――僕は、永遠にジレンマに取り付かれたまま―――― それから暫くして、僕の部屋にくっくでゅーさんがやって来て質問攻めにされた事は、秘密にしておきましょう。